つくつくぼうしも
鳴き止んだ
入道雲は
まだ
威厳を保っているけれど
祭囃子とともに
終わりが訪れる
街路樹に
道端に
夏は過ぎたと
花が咲き
静かに
終わりが訪れる
ススキが 波打ち
行進するのを
蜻蛉が
威風堂々
護衛仕る
静かに
終わりが訪れる
つくつくぼうしも
鳴き止んだ
入道雲は
まだ
威厳を保っているけれど
祭囃子とともに
終わりが訪れる
街路樹に
道端に
夏は過ぎたと
花が咲き
静かに
終わりが訪れる
ススキが 波打ち
行進するのを
蜻蛉が
威風堂々
護衛仕る
静かに
終わりが訪れる
自由自由とありがたがるが
自由の活かし方を
教えてくれる人はいないままで
人それぞれで自己責任だと
そういう事実だけが残るので
怖くなって本当の自由というものが
何なのか考えられなくなる
お互い規制しあって
空いた隙間の
自由が有難いのであって
地平線の向こうまで
続く
そんな自由を
誰もありがたがらない
理想としての自由と
有難い自由の意味は
全く違うのだと
誰か教えてやってくれ
後悔するようなことがあっても
悔恨があっても
まだ二本の足で立っているなら
その痛みが
大きな財産になる
いい勉強になったと思えれば
それだけで恵まれていると考える
はたからみじめに見えても
自分さえ納得していれば
それだけで十分
みじめに見えても
不幸に見えても
それは自分の気持ちじゃない
胸を張れとも
下を向けとも
言わないが
どんなことがあっても
納得できれば充分なのだ
草生した線路の上を
走って走って
遠くに街灯が見えて
空が白んできて
あのトンネルを抜けたら
そろそろ日が昇るだろう
どこが終着駅か
地図もないから
わからないけど
走って走って
途中の廃駅で
時々休憩して
また
走って走って
誰かが近くに居るようでいて
昔誰かが往来しているようでいて
実は誰も
通ったことのない
そんな人生のレールの
終着駅が見えるまで
走って走って
駆け抜けて
毎日いたるところから発信される
情報
それがないと不便になるのだが
身についた知識にならずに
忘れていくものの方がおおくて
これも消費社会ということかと
ちょっと寂しい気もする
古来の兵法書をよく読むが
基本は今でも通用するし
知識となって
血肉になっていく感じはある
ここに生きている実感みたいなものがあって
現在進行形の情報の本流より
古い書物の方が
生きた実感を感じる
消費するための情報と
伝えるための情報の
大きな差を
なんとなく実感しているのかもしれない
神を信じることより
生きていることに
生かされていることに
朝日を拝めることに
月明かりに照らされることに
感謝するだけで
事足りるのではないだろうか
それだけ感謝できれば
充分
幸せな気持ちになる
刻一刻と
世界が変わり続けて
取り残されることの無いように
少しでも多くの人に
いい変化であるように
そういった希望と裏腹に
痛みや
苦しみ
死活問題
こういったものが
変わらず付きまとうのだ
絶望に焼き尽くされるのも
希望に焼き尽くされるのも
光り輝いて
消えていくのだから
誰かの道を照らすことになるかもしれない
それが誰かの道しるべになればいいと
新しい希望が生まれることもある
生きることは一人で暗闇を歩くようなもの
でもこうやってほのかな明かりが
道を照らしてくれるのだろう
人生の風が
いつ吹いてくるか
誰にもわからない
変化を求めて
帆を張って
出航しようと待っていたのが
青春だったが
一向に風が吹かなかった
そうはいっても
どこにでもよくある話
年を経て
安定を求めるようになって
錨を下ろし
帆を畳んでいたら
ついに
風が吹き始めた
戸惑いながらも
帆を張り
錨をあげて
出航の準備をしている
まあ
どこにでもよくある話
サーキュレーターで
部屋の空気が混ざる
エントロピーが
増大することで
随分快適
昔泊まった
タイの安宿は
クーラーもなく
地獄のような蒸し暑さ
天井の送風機が
くるくる回り
その地獄を緩和する
多分
地獄のエントロピーは
縮小し続けていて
天国のエントロピーは
増大し続けていて
この世のエントロピーは
運命通り
少しずつ増大しているので
天国に向かって
延々歩き続けているのだろう
追いつけるかどうかは
分からないが
朝から雨降り
出かけられる気配はない
茶香炉に
蠟燭を入れ
なんとはなしに
炎の揺らぎを見る
規則正しい
雨音と関係なく
ゆらゆら
気まぐれに揺れる
そこに自由を見た
そうこうしていると
茶葉の香りが
漂い始めた