無思想の発見を読んで2


思想なんてないという思想を前提にして、ほかの思想を勉強していいとこどりすればいいというのは本当にそうだなと。

宗教に関しては日本はもうやっていますね。初詣に盆にハロウィンにクリスマス、結婚式は教会、と。節操がないととるか、これほど便利なことはないととるか。私は後者ですね。

◎「思想なんてない」という思想を支え、補完する重要な柱とは「世間という現実」。思想とは「世間において実現できるもの」であり、日本の世間に辻褄のあった思想である。ただしあくまで一つの思想であって、唯一の思想ではない

◎在るものは仕様がないと現実を認めることと(ある思想を認めるということ=受け入れること?)、そういう思想があることを認めることは同じではない

◎現実とは、その人の出力=行動に影響を与えるもの。思想も世間も同じ。それがその人の行動に影響する以上、その人にとっては思想も世間も現実である

◎思想と現実の違いは何か。現実は五感で捉えられるが思想はそうではない

◎脳は情報に重みをつける。重みをゼロにすれば「現実ではない」となる。重みがゼロでなければ、入力は出力に影響する。つまり行動に出る。「やることを見ていれば何を考えているかわかる」

◎自分をごまかして一生が過ぎてしまう人も多い。それを「幸福な人」という

◎一神教が拡がるというのは、積極的に「思想がある」ということを意味する

◎現実に干渉さえしていなければ、思想はいくら羽を伸ばしてもいい。世間(現実)には干渉してはならず、干渉することで問題が起きる。

◎現実に合う思想であれば直ちに現実化し、思想ではなくなってしまう。思想とは「現実無視の空論」である

◎根本的な対立がどこにあるか明確にするには、まず基本的な一致点を探す必要がある

◎意見が徹底的に対立するときくらい、意見が整理しやすい時はない。両者の主張が相反するなら違いはどこなのか、対立点を明確にしていけばいい

◎世間では「死んだら最後、別なもの」であり、だから戒名が必要になる

◎日本人が「形を重んじる」のは思想がないから。形に思想はないが動かしがたい。同時に形は目に見えるから、それが現実と思われやすい

◎「思想なんかない」という原理、思想は言葉による思想を抑圧する

◎脳には感覚入力があり、それを受けて計算し行動を出力する

◎「意識は秩序行動である」無秩序な意識活動はできない。無秩序はランダムという意味。意識は常に何かと関連付けて活動している

◎現代社会では「意識こそすべて」という社会であり、都会とはそういう場所。「自然なもの」とは「意識が作らなかったもの=非人工物」。都会をもうちょっと極端に表現すると、「意識のワガママ勝手が許されるところ」

◎意識活動はプラスではなく、「睡眠」という意識の断絶である無意識のマイナスを足して0となる

◎「」と「」で世界ができるだろうか?無に0、空に1を充てると、コンピューターの世界となる。概念世界(思想等の抽象世界)はこれだけで作ることができる

◎感覚世界、つまり現実では何が起ころうが仕方がない。人生で言うならそれが四苦八苦

◎思想で政府が喧嘩(紛争等)するのはアホだろうと。思想なんて議論だけしていればいい

◎「どんな高い玉座に座るとしても座っているのは自分の尻の上だ」こう思っていれば大過ないが、何とか頂点に向かって登ろうとするから自分の尻のことは忘れる

◎大衆は信じるものでも、信ずべからずものでもない。大切なのは、大衆が何を信じ、何を信じないか

◎世間において倫理を実際に背負うのは、フツーの人。倫理は下々の働く現場に「丸投げ」される

◎状況によって人の性格は簡単に一変する

◎すべてが自分のしたことであれば、全ては自分の責任であり、他人のものではない。それは安心ということである

◎すべて自分がやったことなら非難されても仕方がないし、褒められてもどうということはない。それこそが「ただの自分」である。そこに何かのほかのもの混ざってくると、どうしたらいいのかわからなくなる

◎嘘ではないということは、「いつでも、どこでも、成り立つ」ということ

◎真理とは自分の手に入る言葉で「これだ」と示すことができるようなものではない。ただひたすら、「追い求めるもの」

◎意識単位では点でしかない。本質的に同じようなものだが、そこに内容を与えると現実に関係が生じ、違いが生じる。違いとは現実との関係に生じる、それだけのもの。

◎ある種の状況を作ると、皆の脳が同じような反応をする。個々の意識が実は全く独立してるとは言えないのではないか(私個人の意見としては、無意識の部分は共通点が多く=同じ型で作られている、現れている氷山の一角である意識の部分が多少違うだけだと)

◎言葉や意識の世界は「同じ」と同一化、単純化を繰り返し、世界を単純化していくと、その究極が、唯一絶対の神になる

◎思想は感覚ではなく言語と密接に関与している

◎現代人は「既成の言語をただ運転している」。それをコミュニケーションという

◎多様性とは様々な「違ったもの」が調和的に存在できるという状態。

◎現実(感覚世界)を意識はできるだけ「同じ」に変えていく。その方が便利、楽だから、と人々は言う

◎言葉は感覚世界と概念世界の間にあり、「同じ」「違う」の釣り合いを保つ。それを怠けたら世界はひたすら「同じ」の作用で同一化する

◎生き物というシステムを知るということは「自分を知ること」。汝、自らを知れ

◎市捨てもは情報でない。術は常に変化を(新陳代謝等も)している。当面安定しているシステムをみて、「大体同じ」と扱い、情報として変わらないものとしてしまうのが現代社会

◎どのような思想であれ完全な思想というものはない

◎日本の宗教は「信じないことを信じる」という宗教

◎見方が変われば世界は変わる。人が変わっていくのは救いである

◎自分とは知らない環境に入れば当然かわる

◎私は私、個性のある私、本当の自分を声高に言うのは「実体としての自分に確証がない」。本当の自分は意識ではなく身体の方なので「変えようがない」。

「生きているのは面倒くさい」人生は四苦八苦である

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