ねじまき鳥クロニクルを読んで

考えるな感じろというタイプの小説なので感想を書くのも難しいかもしれませんが

村上春樹さんの小説にはどちらかというと直接的でない性描写があるのですが、性欲というより性衝動(リビドー)のことを言いたいのかな?と思ってみたり、思春期のような発想を大の大人がしていることに何か意味があるのかと思ってみたり・・・

何というか長い長い休暇中に昔果たせなかった「綺麗な青春」みたいなものを体験しようとしているような印象を強く受けます


第一部 泥棒かささぎ編

人それぞれに運命みたいなものがあって、実際の生き死にかかわらず何か自分のなかにある命の次に大事な何かを喪失してしまった人々が、残りの人生の中で交わっていくような話ですね。とりとめのない会話が随所にあるのですが、物語の何か重要な部分を暗示しているというか、これから何か起こることを何か暗示しているというか。まだ物語の筋みたいなものが見えてきません。主人公夫婦も、学校をずる休みしてる少女もその重大な何かを喪失してしまっているような印象を受けます

過去の独白が多いのですが、それなりにみんな不幸な目にあっているので、それがこの何かの喪失したときの話なのかもしれません。

主人公夫婦が今住んでいる家も、立地や登場人物も何かに押し流されるようにして流されて流れ着いた場所が物語の舞台になっているような気がします。人生を歩んでいるというよりは、大事なものを喪失してしまったが、寿命が来ていないから生かされてる抜け殻のような生き方を仕方なくしている人々というか

どうやら、現実世界と重なるように不可視の世界が存在していて、ある時点で何か重大なことが起き、その世界の流れが大きく変わり現実世界に干渉し始めているのでないかといった印象を受けます。具体的何がどうであるといった話は一切明示されないので憶測でしかありません。


第二部 予言する男編

色々不思議な話が水面下で進行していくような感じなのですが、主要な登場人物のほとんどに共通してるのは、色々いいながら、結局は自分のことに関心が大きすぎて周りが見えていないのと、衝動的であるということですね、性的な話も割と重要なところなのですが、普通の大人ならこんないい加減なことはちょっと。大人らしさ、とは無縁というかなんというか・・・

私なりに深読みすると、思春期、青春時代の時に不発に終わった自分探しと、思春期特有の性衝動みたいなものから脱却できなかった人々の、大人になって色々知恵がついてしまってからの自分探しの話で、本質はまだ子供。だから主人公の敵対者として出て来るワタヤノボルを大人の世界代表としてみると、なんとなくそんなものじゃないかなと腑に落ちるところはあります。

性的な話も、なんというか、未経験者の想像みたいなところがあります。嫁さんも自分探し優先して失踪してるし、占い師姉妹も、姉は自分探しの旅を終えて帰ってきた人で、妹はできたら主人公と自分探しの旅に出たいという。

自分探しの旅現代版おとぎ話(大人用)といった感じがしますね


第三部 鳥刺し男編

主人公が過ごしている現在の生活感みたいなものが皆無だし、性の話が重要な部分を占めるのですが、思春期の想像の域をでないなんというかふわっとした話であること

年配の登場人物や関係者が、WW2終戦間際に満州にいてどうやらすれ違ったり関係したりしていること。

相当苦労していて、本編より生々しい描写があって現実感があるということ。あと暴力描写がかなり生々しい。本編では淡々と描写されるのですが・・・


どうも十台の反抗期真っ盛りの少年=主人公(実際は30過ぎ)

反抗期の少年から見た汚い大人代表=ワタヤノボル(成功した権力のある悪い大人)

こういう構図で見たらなんとなく話しの輪郭がわかるような気がします。

物語が進むと次々と登場人物が入れ替わっていくのですが、出番が終わるころには結果はともかく思春期を経て反抗期を超えて自分探しを終えて大人になっていった人、失敗した人といてるような気がします

自分探しの旅を失敗した人があまり幸せでないのと、そのリベンジを主人公が託されたりしてるような感じかな。(嫁さんは大きな代償を払うことになったがなんとかなりそう)最終的に色々あったけど大人として再スタートを切ることができた、という話かなと。

笠原メイは紆余曲折あったけど10代のうちに自分探しもできてちゃんと大人に成長できそうな、登場人物の中では数少ない人間なのかなと。

性的話でちゃんと大人になれていなかったのがワタヤノボル氏で、嫁さんも色んな意味で大人にはなっていなかったから話に出て来るような悲劇でけりをつけたのかなと。

主人公はどうなんだろうなと。穿っているのかもしれないけれど、ちょっとおかしいというか、人間離れ、生活感が無さすぎてピンとこないのは意図的なのだろうかとか。他の人はある程度肉付けされている部分が、主人公はされていない感じはします。