上巻のまとめの最後です
今更ですが度々出てくる「権力意志」の概念についてAria AIに説明してもらいます
ニーチェの「権力意志(Wille zur Macht)」とは、彼の著書『ツァラトゥストラはこう語った』などで議論されている概念です。これは次のような意味を持ちます。
力の意志**:
ニーチェによれば、「権力意志」は力の本源的な意志であり、生命の根源的なエネルギーであるとされます。これは個々の生命や文化の中で、成長し、自己を実現しようとする本能的な力を指します。
支配や支配欲**:
この概念は、支配や支配欲とは異なります。ニーチェにとって「権力意志」は、単なる他者を支配するための力ではなく、自己を成長させ、表現するための意志を指します。
文化や思想の発展**:
ニーチェは、「権力意志」が個々の生命や文化の発展、成長、力の表現として表れると主張しました。この概念は彼の思想や人間観の中核的な要素の一つとなっています。
ニーチェの「権力意志」は、力や意志の本質についての彼の独自の見解を示しており、彼の思想の中で重要な位置を占めています。
◎飢えながら、荒々しく、寂寥に神を知らず。獅子の精神は自らがかくあらんことを意欲する
◎何らかの動機は常に功利的であるがゆえに、汝らは真の精神を知らない。真の精神は自己を否定し克服してそこに新生面を切り開いて難行を行うもの
◎真理の徒は彼の盲目的探究においても、彼の一度予感した真理に進みつつあるものである
◎生命の本質は流動変化である。常に自らを克服すべきものである
◎不朽不滅の善と悪というものはなく、善と悪は常に自らより出でて、自らを克服しなければならない
◎従来の哲学者思想家たちは真理の探究というものが、これが外界を理性によって知的に処理するものに過ぎない(感覚的に与えられたものは排除してしまう)。真実は自己拡充を欲する汝らの意志が外界を支配する
◎生成し支配する民衆の思想は、実は少数の立法者が権力意志により、彼らに命令したものである
◎真の命令者は大使命を自己に課して自己に服従し他者を支配する。その結果に責任を負い、自己の立法したところを贖わなければならない
◎大凡の人間は強者に服従しより弱者を支配し安心する
◎自己の存在や生命の維持より高く尊重されるものがいくらでもある。母性愛、祖国愛、その他の自己犠牲。即ち生命維持より高い欲求があり(自己拡充等)、単なる生存の意志は最終ではない
◎過度の緊張や激しい硬直は美を生み出さない。柔軟性が必要である
◎わが精神の底には(厳めしく厳粛に構えたものに対する)嘲笑の欲望が潜んでいる
◎創造力のない者は信仰を信仰している
◎汝らの教養は仮面である。本質はその裏に埋没してもはや見出しえない
◎現代の文化社会はあまりにも混沌としているので、文化の標識たる「生の表現の様式的統一」を欠いている
◎汝は現実化であって先入観に囚われていないと自称するが、いかなる信念も持っていない
◎美は能動的意志の働くところであり、自己以上のものを生むべく、愛し、死して、生まれるところある
◎全ての神々は詩人の比喩であり詩人の詭弁である
◎革命家は浅い海(詩人の浅薄な空想)に影響され、言葉は刺激的で誇張されている
◎救済とは、過ぎ去れるものを救済し、一切の「かくありき」を「我かく欲したりき」に創造しかえること
◎時間はさかさまに帰り来ることはない。「かくありしもの」である。これぞ意志の転じえざる岩である
◎意志は権力の意志であり時間やすべての和解より、高いものを意欲しなければならない
◎素質劣悪な人間を解放すれば、その悪質な部分のみが社会の表面に横行することになる
◎厳然たる過去の客観的事実が現実を決定する。之に直面して意志は無力を感じ疎外されて苦しむ。
◎復讐は元来歪められた意志の変態的産物であり、自己を正当化しようと「刑罰」の名を借りる
◎絶頂よりも途上の斜面にあるほうが危うい。斜面にあってはまなざしは大地に注がれ、手は上に伸びる。この二つの意志のために心は眩暈する
◎人間の間にあって純潔であらんとするには、汚れた水をもって浴することも学ばねばならぬ
◎傷つけられた虚栄心こそ、一切の悲劇の母ではないか?しかしその矜持が傷つけられる時に、その矜持より優れたものが発生する
◎人間に対して十分な信頼を持たなければ、自分の理想は現実の人間との関連を失い単なる夢想と化してしまう。