涅槃経を読むを読んで


仏性とは何かを中心とした解説になっていて、かなり宗教としての仏陀の話が多いです。元々私はあんまり仏性については関心が薄く、今勉強していることとも趣旨が違います。仏性の話=哲学とも言えなくもないのですが、宗教的な話が中心なので本来ならこの本の一番重要なところをバッサリカットしています

ほんとは内容もかなり濃く宗教としては重要なことが書かれているように思います。そこを纏めたらかなりの量になるのですが、それを抜いているので、あしからず。

原始仏教に限定しないと哲学としての仏陀の思想を追うのは難しいかもしれませんね。涅槃経も、上座部仏教版と原始仏教版の二つがあり、内容も違うようです。

孔雀王(マセガキ)とか伝奇を好んで育った私には宗教としての仏教の教えも歴史があるので興味深いのですが。

◎行ってはならない二つの極端なこと

  • 欲の快楽にふけること。下劣で野卑で愚かな行いであり、高尚でなく自分のためにならない
  • 自らを苦しめること

極端な行いを避け、中道つまり公正で中正な歩み(道)をとるべき

◎三つの命題

  • 諸行無常…一切の形作られたものは無常(一定でない)である
  • 一切皆苦…一切の形作られたものは苦しみ(思い通りにいかない)である
  • 諸法無我…一切の事物は私ではない

◎衆縁和合

様々な原因と条件が絡まって相乗、複合、融合して生きており、存在している。みな「縁りかかって存在している」

◎万物は変化しながら相続する

◎生と死は生が死を迎えるのではなく生が死となるものでもない。生は生という在り方、死は死という在り方を示していて、それぞれが一時の在り方を示したものである

◎身(行為)口(発言)意(意志、心)の三業

業とは行いという意味で、一つの行為が反復されると習慣として定着される。それは習慣力(業)として残る。善と悪の行いは蓄積され、いつか報いをうける。それを業報という

◎世間のものには、私とか私のもの、あるいは不滅の実体というものはない。これを学習したら奢りの心を取り除くことができる

◎悩みや苦しみの根源を知り、その原因を取り除くことが解決の方法である

◎福の神と貧乏神はいつも連れ添っている姉妹である。両方とも招き入れたものはあざなえる縄のように苦楽を味わうことになり、両方追い出したものは世間の俗楽に執着しないので心安らいでいられる。

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