バカの壁を読んで1


色々思考のヒントになるかと思います

気になったところを纏めていきます

◎自分が知りたくない事についはて、自主的に情報を遮断してしまっている。これも一種の「バカの壁」。私たちが日頃、安易に「知っている」ということの実態はそんな程度。

◎常識=コモンセンスというのは物を知っていることでなく「当たり前」の事。ところがその常識、当たり前に対する「スタンス」がおかしい「自分たちは知っている」と思うのが問題になる

◎なんでも簡単に「説明」さえすれば全て分かるように思うのがおかしい。ということがわからないことが問題。

◎そもそも現実とはなにか

分かっているつもりでも誰一人として現実の詳細についてわかっていない。皆が漫然と現実を分かったつもり、知っている、知ろうと思えば知ることができると思っている。

◎客観的事実が存在するというのは最終的には信仰の領域。何故なら、そんなことは誰も確かめられないから。無条件に客観的事実が存在すると信じている人が多い。

◎正しさ、客観的であることを安易に信じる姿勢があるのは非常に怖い。現実はそう簡単にわかるものではない。

◎確実な事なんか何もないのではなく、常に確実なことを探し続けているのが我々。だからこそ、疑ったり検証したりする。この過程が重要で、それを飛ばしてしまうことが問題になる。

◎共通理解と強制理解

  • 共通理解。例として言語。世界のだれもがわかるための共通の手段
  • 強制理解。例として数学。嫌がおうにでもこれは正しいと認識される論理「

◎個性やオリジナリティについて、この狭い日本で求められているのか。ひたすら美化するのは噓ではないか

◎昨今の社会においてがんじがらめの共通了解を求められつつ意味不明の個性を求められるという状況には無理がある。「求められる個性」を発揮しろという矛盾した要求がされている

◎本来、意識や脳は共通性を徹底的に追及する。共通性を確保するために言語の倫理の文化や伝統がある

◎個性とは初めから与えられたものでそれ以上でもそれ以下でもない。私たちの個性はもともと与えられたものしか持っていない。「個性は脳でなく体に宿っている」

◎脳は社会生活を営むために個性より共通性を追求する。これと同時に「私は私、昨日の自分は今日の自分」といった自己同一性を追求する

◎万物は流転する。逆に流転しないものは「情報」

◎情報化社会

日々変化して生きている自分自身が「情報」と化している社会の事。生病老死を抱えた生き物としての自分が「私は私」と同一性を主張した途端に自分自身が「不変の」情報と化してしまう。だからこそ、人は個性を主張する。自分には「変わらない」特性があると。その思い込みがなければ「個性が存在するとは言えないはず」

◎人間が常に変わること個性は常に一致しない。人生は万物流転。

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