二十代で色々トラブルに見舞われたとき被害者として問題の処理に当たったりしたのだが、本当に周囲のアタリは冷たくなるのよね。就職してからも地獄見ましたよ。ソコラへんも耐えに耐えて踏ん張って何とかしましたけどね。
…まあ勝手に私に落ち度があるというか悪い風に当たってくる相手は全て敵認定して、敵だから憎たらしいのは仕方ない。覚えとれ。と自分を抑えるようにして過ごしましたが、限度を超えると嫌うとか憎むとかはしんどいだけになってあんまり感情がわかなくなってくるものです。無意識にそれで自分のメンタルを防衛していたのでしょうか。
代償として性格はゆがんだかもしれませんね
本当に嫌な経験だったのでそのころの私が持っていた感情は思い返すのも嫌なくらい真っ黒なものなので墓にもっていこうかなと思っています。つらく当たった相手を恨むのもしんどいしもう済んだことにするしかなかったのですが、これは救済されることのないものだと諦めることで現実に向き合うしか対処法がないのではないかと思います。
公正世界仮説と被害者を責める心理の関係を説明してChatGPT
公正世界仮説(Just World Hypothesis)は、人々が世界は公正であるという信念を持つ傾向があるという心理学的な現象です。この仮説によれば、人々は世界は正義が行われるべきであり、善行をした者には報いがあり、悪行をした者には罰が与えられると信じる傾向があるとされています。
公正世界仮説は、人々が不可解な出来事や不正義な行為を説明するために利用されることがあります。例えば、被害者がいる場合、人々はしばしば被害者を何らかの方法で責める傾向があります。これは、被害者に対して「何か悪いことをしたのではないか」「自己責任があるのではないか」といった責任を求める心理的なメカニズムです。
被害者を責める心理は、公正世界仮説と関連しています。人々は、公正世界仮説に基づいて、被害者が自分自身の行動や特徴によってその結果を引き起こしたと信じることで、自分自身を守り、不安や無力感を軽減しようとするのです。
このような心理的な反応は、被害者責任のバイアスとして知られており、社会的な不正義や不幸を目の前にすると顕著に現れることがあります。被害者責任のバイアスは、被害者を非難し、自分自身を守るための防衛機制として機能することがあります。
ただし、被害者責任のバイアスは公正世界仮説によって説明されるものではありますが、現実には社会的な問題や不正義が存在することも事実です。公正世界仮説は、人々が世界の複雑さと不確実性に対処するために利用する一つの認知的な枠組みですが、それが必ずしも現実と一致するわけではありません。
まあ就職してから大問題になったのでこれからもこの概念とやり合い続けるしかないのかなと思うとうんざりはしますが、ささやかな抵抗としていろいろ説明しまくったり加害者側を論破、分析、定義することで相手が悪いことを説明し続けていこうかと思います。