自分の壁を読んで1


養老武司さんの自分の壁を読んで気になったところをピックアップしました

◎個性や独創性、自分を重要視する風潮が強くなっているが本当にそんなものが大切かどうかは疑わしい

◎発揮されるお膳立てをして発揮されたり伸ばしたりするものでなく、周囲が押さえつけにかかってもそれでも残るものが個性

◎この世で生きていくうえで大切なものは人と如何に違うかというより人と同じ所を探すこと

◎自分というのは結局「今自分がどこにいるのか示す矢印」程度のものではないか

◎人間の脳、意識は「ここからここまでが自分だ」という範囲を決めて、その内のものを依怙贔屓する

◎個性を伸ばせ、自己を確立せよというのは、身の丈に合わないことを強いていることになる。それよりは世間と折り合うことの大切さを教えた方がはるかに良い

◎オリジナリティとは何か。「私」にしか出来ない事である。そんなオリジナリティを求めても仕方ない。普遍性を見つけ、世間並を身に着けることのほうが重要

◎それぞれの人が個性を発揮するには世間のほうがきっちりしてなければならない。今は世間の基準や物差しが大きく揺らいでしまっている。そこに個性を求め無理に要求するからわけがわからなくなり「自分探し」をしたくなる。実際には本当の自分は探す必要がない。探しているのは誰なんだろう

◎日本人の思考の特徴「実害はないだろう」ということを平気でいえること。日常的にはこういう現実的な思考で問題はないが、もっとややこしい問題で「どっちに転んでもいいとは言えない」という問題には答えを出せない

◎議論において誰かが感情的な批判をするときは、そのどこかに嘘がある

◎共生とか一心同体とかそういったものが自然の姿で、確固とした自分を確立し独立して生きるといった考えは現実味がない。

◎経済成長は良いことで庶民にとってプラスになるという考えがあるが、その前提がどこまで正しいかほとんど考慮されていない(エネルギーの限界や環境の負荷など)

◎自分は新参者だという気持ち

世間、社会は自分よりも先に出来上がっていて、世間の約束事はすでに決まっている。そこに後から入ってきた者はどういう振る舞いをすべきなのか。居心地の悪さを抱えているか、自然と世間となじんでいるか。この二つで世間の見方は変わってくる

◎何でもオープンにして議論を行えればいいが、すぐに対立構造が出来、責められる側は情報をオープンにできなくなる。人間の心理として当然そうなる。

糾弾をするだけでは、一時的に気分は良くなるかもしれないが、結果として誰の得にもならない。

◎世間をよくしたいと本気で考えるのなら、色んな人や考え方があって厄介であることがわかる。それが分ったくらいで大体一生を終えてしまう。それでも自分の一生でできることをした方が良い。

◎日本人は具体的な生活に直接関係ないことは何でも言えると思っている。生活に関係ないことはどういう解釈で論じても構わない。これが普通の考え方。日本にとって必要な思想は無意識に入っている

◎政治を見るときに大事な点は、人の能力をどう使ってるかという点

◎近代以降、日本の社会は「新しい他人とどう付き合うか」という問題を解決できていない

◎いじめがなくなるのか。そんなものはなくなるわけがない。むしろ考えておくべきなのはいじめられた時の対処法。いじめられた時に自分の逃げ場を作る、つまり世界を広げること。

普通のいじめ(犯罪レベルでない)であればとりあえず逃げるのがいい。この時もやはり世間は自分より先にあると考えるといい

「世間がどういう人で構成されているのかは俺には関係ないので、いじめられても俺のせいではない」

◎都市化が進むと濃密な人間関係が持ちづらくなり、何でも自分の勝手となりやすい。でも人間がどこからも自由ということはあり得ない

◎日本の場合、昔は絆、共同体の代用品として会社が機能していたがそこにも「個」をたてるようになり業績主義、成果主義が台頭してきた。しかしその方向性が本当に正しいか怪しい

◎雇用の流動性

今の職場では活躍できないけれどよそにいけば活躍できる人もいる。そういうミスマッチをなくすために流動性は必要。実際はちょっと嘘がある。実際にはそんな人材はあまり存在しないし、ミスマッチで燻っているなら社内の異動ですむ。

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