冬の特別展示の期限が迫っているので時間があるときに見に行っておこうと思います。
冬季特別展「美の玉手箱 西洋との出会い、巨匠たちの挑戦」
会期:2022年12月16(金)~ 2023年3月12日(日)
行く前にちょっと画家の予習をしておこうと思います。
ウィキペディアより引用しています。
江戸時代中期~後期の絵師。近世の日本の画家のなかでも際立って「写生」を重視した。
どこかの美術館で絵を見たことがあります。レプリカの色紙が実家にあるはず。近代日本画壇の巨匠。
見に行った後の感想ですが、富士山の迫力がものすごいのと「竹雨」と「秋色」がとてもよかったです。
気品あふれる美人画を得意とした。「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」(いずれも松園のことば)を念願として女性を描き続けた。
大和絵の伝統を深く学び、歴史画を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示した。ことに武者絵における鎧兜の精密な描写は有名
1914年(大正3年)第8回文展に水彩画「みなとの曇り日」が入選する。わずか18歳での入選が話題となり天才少年画家として名声を得る。
1919年(大正8年)京都市に移り竹内栖鳳の画塾・竹杖会に入門し日本画に転向する
昭和初期より西山翠嶂門下で官展の入選・特選などを重ねた。戦後は画塾を出て「創造美術」(現創画会)の結成に参画する一方、美術学校(現京都市立芸術大学)にて後進を指導。50代で赴任したインドの風景に魅せられ、以後インドを主題にした作品で新しい境地を開拓する。
日本生まれのフランスの画家・彫刻家。フランスに帰化後の洗礼名はレオナール・ツグハル・フジタ。第一次世界大戦前よりフランスのパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びた。
日本の昭和期に活躍した洋画家である。
肖像画、特に群像を多く手がけたことで知られる。武田薬品工業の機関紙『武田薬報』の表紙に、1955年から約13年間薬用植物画を描き続けた。1971年に薬学博士苅米達夫の解説を付け『薬用植物画譜』として刊行された。
ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術・琳派・南画といった日本の伝統的な美術を自由奔放に取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチが織り成す装飾的な世界を展開。昭和の一時代を通じて日本洋画界の重鎮として君臨した。