津本陽さんの武田信玄を読んで

武田信玄上中下三巻

上中下三巻です。武田信玄を中心に信虎~信玄~勝頼の時代の話です

名将、謀将、結構手段を択ばないところがあるのは知っていましたが、今川北条上杉に囲まれて、明らかに石高が少ない領地で動員兵数も限られていて権力闘争に日和見ばっかりの国人衆相手に渡り合うには手段は選ぶ余地もなかったのではないかと思います。

石高も低いがさらに稲の病気か寄生虫等の問題を抱えていたはず・・・地の利は北条今川上杉に比べて相当不利だったようですね。金山と商業は栄えていたようですが

勝頼の代になるときには、外交の手のひら返しをし過ぎで信用低下が祟って友好的な相手がほぼいない状態で、どうにもならない状態だったとも聞きます。


上巻。

出生から父親の信虎との軋轢、信虎追放、信濃攻略、上杉家と激突あたりまで。まだ信玄ではなく晴信と名乗っていたころの話です

信虎から見て晴信は慎重で抜け目がないのが危険視されたのが軋轢の原因であるとなっていますが、投手にな手からは大分血に飢えているようなところは信虎と似ているなぁと。

外交手腕と調略、謀略の苛烈さで、独立心のつよい国人衆や諸将に畏怖されていたようです。

合戦も強かったのは確かですが、上杉家にはまともに当たるな(ぼろ負けしている)とか、村上義清に苦戦していたのを調略で崩している。むしろどこかに本気で攻略するときは相当念入りに調略を仕掛け、寝返りをさせていますね。


中巻

上杉謙信との何度にもわたる合戦の話が中心、兵士の強さも、組織力も将としての強さも謙信の方が上とはっきり書かれているし、武田方もはっきりそう言っています。まともにぶつかれば大けがをするので避けよ、と。謙信が理想主義者で領土欲等が乏しく、信玄が徹底した現実主義者なので、戦が長引くと謙信についていけないものが出始める。それを虎視眈々と待っていた信玄。合戦では圧倒的に謙信の方が強いですが、信玄の策略で五分以上にもっていっている感じですね

手のひら返し外交を繰り返すことで息子が謀反を企てる。信玄が信虎の残虐を見てこれは非道と断じたように、義信も信玄を見限ったんでしょうね。因果な話ですね。

今川、北条等の外交関係が友好敵対と目まぐるしく変わります。領土のことが問題なのですが、昔の外交ってこんなにひどいんだなって。

信玄の死期が迫る中、徳川勢を三方ヶ原で打ち破るところまでですね。

外交や謀略が相当酷いのですが、信玄本人は仏教を熱心に信仰。もちろんそれだけではなく、政治的意図も大きかったのでしょうが。


下巻

信玄逝去から滅亡まで

信玄からの重臣の実力と発言権の大きさに対抗するために勝頼は子飼いの家臣を使いたがるが、こいつらが曲者なのと、信玄だから我慢していた、みたいな話が持ち上がってきますね。それと勝頼が今まで戦負けなしで自信過剰になっている。大規模な戦は負けると一気に国が傾くので普通の武将はそういうことをしないが、腐敗の勝頼には慢心があったし、華やかな勝ちで家臣団を服従させたかったと。そういうわけで設楽原の合戦(長篠の戦)が壮絶なものになっています。

大敗を喫した勝頼の自信が崩壊し決断力がガタガタになったため、すべてが後手に回っていしまっていますね。それでも勢力の回復と外交に力を入れてはいるのですが、経験豊富なベテランを軽んじたり、親戚衆は謀反を企てていたり。あと信玄以来の旧臣の耳に痛い信玄を聞くことができず、イエスマンの取り巻きの話を聞き入れてしまっているので外交に関しても戦略的によろしくない状況に。自滅していっていますね。

強大になった織徳連合にどう対抗するか四苦八苦していますが、打つ手打つ手が裏目に出るという。時勢というものから完全に見放されているのと、経験豊富な家臣より子飼いのイエスマンの意見しか聞けなくなっている勝頼にはもう・・・

しかし、信玄のえげつない調略の仕方を、信長や家康もしていたとは。終りのほうは凄惨極まりない話になっています。寝返った相手を結局・・・最初から有力者を根絶やしにするつもりだったのかもしれませんね