間抜けの構造を読んで


色々考えさせられることがあります

◎間抜けには愛嬌というかどこか憎めないところがある

◎それまでのお約束や文脈、状況といったものにかかわらず踏み外してしまうのが間抜けであって、底をちゃんと抑えておくと間抜けにはならない

◎間抜けは「言わなくていいことを言っちゃう奴」。そういう時は「黙ってありがたくいただく」というお約束が守れない

◎男女の駆け引きなんていうのも傍でみていると相当間抜け。男女の「間」は大事なものだけど、大体男が間抜けでしくじる。修羅場なども傍から見ると間抜けになりやすい

◎間抜けかどうかは紙一重で、状況次第で変わる。当事者と第三者でまるっきり違う世界があって、それがちょっとずれるだけで、思いっきり間抜けなことになる

◎間抜けなエピソードを笑い話としていつか笑うことができれば、十分元を取ったことになる

◎どんなシチュエーションなのかによって当然適切な間は変わる

◎間合いというのは、車の運転みたいなもの。道が混雑しているか空いているかぐらいは誰にも分かること。その流れに乗れるかどうかは実際車を運転してみなければわからない

◎間の悪い人は、話の途中で息を吸ってしまう。「この話のどこで息継ぎをするか」を考えていない。息継ぎがスムーズじゃないと内容が頭に入ってこないから損をする

◎討論のとき、どこで話に入ってくるかは縄跳びに入ってくるタイミングを見極めるのと同じで、それが上手い人と下手な人にはっきり分かれる

◎話に割って入るときは「それはあなたの言う通り」と肯定から入る。そうすると相手も「うん」となるから間が開く。この瞬間に「この人の言う通りで、私は~」と自分の話をしてしまう

◎討論で使えるテクニックとして「私の言いたいことは二つだけあります。一つ目は~」とやるんだけど、一つ目はすごく短くする。それで話が短いと安心させたうえで、「二つ目」に自分の言いたいこと、長めの主張にする

◎一生懸命勉強してるけど成果が上がらないのは大抵やり方が間違っている

◎生まれた瞬間から「間」が悪かった、ということはあるんだよ。才能も実力もあるけど最後まで時代の相性が悪く世に出なかった奴はどの分野にもざらにいる

◎どこか突き抜けた人というのはその時代に評価されなくても、死んでから認められるという一発逆転がある

◎結局、人類の進化というのは一握りの天才が引っ張っているだけじゃないか

◎物事をあまり説明しすぎると、意味が限定されてしまう

◎日本語というのは強弱のアクセントがなく、高低のニュアンスだけ。強弱のアクセントがないのでリズム感が生まれない

◎日本は変な国。アメリカと戦争をしてコテンパンにやられるが、負け方が変。しかも未だに負けたまま。バブルも崩壊したら立て直せないまま。豊かさをうまく扱えない

◎間を大切にするのは欠点もある。空気を過剰に読む文化でありそうするとゼロから何かを生み出す能力はどうしても弱くなる。

◎人生にも間はあってそれによって思わぬ転機が生まれて新しいことをしたりする。人生というのは本当に何が起こるかわからない。その人生の「間」というのは自分が意図したものではなく、突然やってくる

◎時代というのも、どの時代に生まれたのかというのは本当に大事。その人の間がいいか悪いかはそれに尽きる

◎成功も失敗も結果論。成功したらその人に才能があったということ。失敗したらその人に才能がなかったということ。

◎理由がないと人間は動けないんだけど、一番肝心な「この世に生まれた理由」はwから無い。人間は弱いから何か理由が欲しくなって、宗教や占いをとりあえず信じようとする

◎「生と死」というよくわからない始まりと終わりがあって人生とはその「間」でしかない。人間というのは一生「間」のことしかわからなくて、それがどうやって生じるかは絶対わからない。だからこそその「間」を大切にしようぜ。という。

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