そのバカがとまらないを読んで


北野武さんのそのバカがとまらないを読んで、気になったところを纏めました

◎後方支援というのは、喧嘩の理屈からいえば自分が出たくて仕方がないけどいい理由がないので取り敢えず後ろにいて、何かきっかけがあればすぐ出ていくというもの

◎基本的人権で問題なのは、加害者か被害者どっちの人権が大切なのかよくわかっていないこと

◎平等というのは、お手々つないで一緒に走って一緒にゴールインではなく、やる気のあるやつは同じスタートに立てる。ただそれだけ。

◎好きなだけでは駄目。才能も運も必要で全ての人間に可能性があるということだけ教えたら挫折の繰り返しに決まっている。自分の好きなことを一生懸命やれば道が開けるなんていい加減なこと

◎憲法のどこを見たって隣で戦争が起きて難民が押し寄せてきてもどうしたらいいかとは書いていない。諸国民の公正と信義に信頼しろとばかり

◎日本には昔から場に応じた作法があり、場に応じて自然に自己規制していた

◎タダというのは良くない。タダでもらうことに慣れてそれが当たり前になると精神から性格が歪んでしまう。昔は形があるものは、ある程度それなりに意味があった。本来の意味が飛んで形だけが残ると、粗末に扱われてしまう

◎色んな国々が興って亡んだが、じゃあ人間がどうだったかというと実は何も変わっていないのではないか。科学技術や文明は発達しても、個々の人間の脳が受け継がれていくわけではない。生まれたときは真っ白、いつも振出しに戻る

◎皆、世の中の部分部分しかわからなくなっている。全体像が分かる人間がいなくなってパーツしか見えない人だけになっている

◎「自分の生まれた時代が一番不幸だと必ず思う」という外国の諺があるが、どの時代に生まれてもよいところと悪いところがあったはず。

◎やっぱり人間は他人よりいいものが食いたい。それは人間の本能。結局平等が嫌いだし他人よりいい生活がしたい。それでもって喧嘩が好き

◎戦争は悪で平和が善だというが、生物学的にみると平和は必ずしもいいことではないらしい。食った食われたという場所では進化するが、平和で安全な場所では進化しない。争いがないと新しいものが生まれない

◎今の人間ってとりあえず情報があるから不幸かもしれない。何か全てに手が届きそうな気がするじゃない。実際は人間はなれるものにしかなれないのに

◎人間は他人との差を確認することで喜ぶし生きていける。差がない世界というのはあり得ない。それを無理やり作ろうとしたのが二十世紀で、結局失敗した

◎生きるとは何か。死とは何か、人間とは何か等の人間の根っこになるあらゆる問題について、近代は何の答えも出してない

◎以前だったら「世間様には顔向けできないが、仕方なくこうやっている」という存在だったものが自己主張を始めておかしくなった。日本は「恥の文化」だといわれているのに誰も照れていないし恥ずかしがらなくなった。

◎節操・・・信念を固く守って変えないこと。と広辞苑には書かれているが要するに分を知ることと同じことだと思う

◎バカと利口の比率でいえば大多数がバカなのだから、バカ同士でつるむしかない。世の中にはつるんだバカが増えて益々節操がなくなっていく

◎博打がすきだっていうような奴は負けるまでやってしまう。しかし負けるのが嫌いな奴は負けないのに必死だから博打が好きな奴はどうしても勝てない

◎ルールというのは強い奴が作ったものはいいけれど、弱い奴が作ったルールは勝ち負けがグズグズになる。負けた奴のルールがはびこると、成績がいい奴も勝った奴もそれ相応の評価を受けられなくなる。残酷かもしれないが勝ち負けや優劣をはっきりしないと絶対ダメ。

◎理不尽なことについても理不尽の効用というものがある。世の中に出れば理不尽なことばかりだからそれを知っておくことは必要

◎人間の行動をつかさどっているのは脳だけど頭というのはいい加減なもので、精神力でどうにかなったりする

◎無限の可能性で個性を伸ばしたりしたら、サラリーマンになる奴なんていなくなってしまう。本当は画家になりたいが才能がないのでしょうがないというような色んな諦めが出てくる。どれだけ自分を捨てていくかが大人になるということ。何でも手に入れられるといつまでも思われても困る。

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