超バカの壁を読んで3


纏めの最後です

◎トラウマを抱えるということは、誰にでもあること。それがあるから生きていけないというものでもないしいつか自分で気づくもの。結局心の傷は自分で治すのが一番。

◎都市の人間は物事を他人のせいにしなくてはいられない。都市は人の作ったものなので、都合が悪ければほかの人間がそれをやっているという結論になる。「仕方ない」「水に流す」という知恵を忘れてしまっている

◎脳の特性とは関係なくイライラしているときは、自分の問題に戻さないで他人のせいにしている場合が多い。人のせいにするという傾向は都会になると強くなる

◎石に躓いて転んでも「仕方ない」と諦められなくなった。だから年をとっても引退できない。いつまでも現役でいたいとあほなことを考えることが増えた。昔の人は、名誉職などをニコニコやっていた

◎江戸時代は隠居という制度が機能していた。今も定年制度はあるがうまく機能していない。「いつまでも生き生きと働く」ことがいいような風潮がある。老人は生き生きとしているよりイライラせずにニコニコしている方が良い

◎厄介な人に対してここで譲るとつけあがるので強硬な姿勢をとる。という考え方がある。しかし大抵の人は最後のドミノを倒すまでは至らないとわかってくる。その人を根本から治すことはできないので、一番大切なことは如何に被害を受けないかということ。そのためにはなまじ親切にしてはいけない

◎人間関係ではつかず離れずがいい。それを実行するには自分に「原則」を自分で作らなければならない。原則は結局自分がしっかりしないとできない。その原則とは実は倫理である

◎あくまでも結果は物差し次第で評価される。大切なのはどの物差しを使うかというルールではないだろうか

◎システムの中での因果関係というのは非常に捉えづらい。社会システムの中では「ああすればこうなる」式の科学的な論理では捉えきれない。「理路整然とした話くらい嘘はない」、自然や人間社会が理路整然としているはずがない

◎人間はある程度の無秩序を容認するしかなく、社会は「自由」を重要なものとしている。

◎丸儲けというのは皆が100%OKということ。現実的にみるとそこから必ず何らかの意味ではみ出る人が出てくる

◎誤解されて怒っている人は誤解されて損すると自分で考えている。しかし実は誤解して損するのは誤解する方。それだけ真実から遠ざかることになる。なので誤解の有無にかかわらずこちらはできるだけきちんとやるしかない。そうすれば誤解した相手が損する確率が上がる

◎色々誤解が生じうるからこそ公のルールがある「~らしさ」というのはそのルールの事。男らしさ、女らしさ、分をわきまえる。そうしておく分には誤解がない。逆に言うとその範囲でしか行動できない。しかし分をわきまえれば社会的な人間として務め上げることができる。

◎自分の筋というのにとらわれると損をする。自分に対する自分の意見は他人の意見よりはるかに軽い。自分はないと思っている方が良い。他者に流されているときの経験で、また何かを考えるきっかけになる。

こっちが意識的に動くのではなく、引っ張り出されないと経験できないものが確かにある

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です